サイの神さんは、日本では古くから伝わる信仰です。大昔、人々が平和に暮らしていたころ、悪者や流行病は道を通って村の中に入ってくると信じられていました。そこで、峠や村境、わかれ道などにサイの神さんをまつり、悪者などが入らないよう防ぎ止めたのが信仰の始まりです。
大山町・名和地区のサイの神さんは、双体像が44、自然石5、文字碑1、その他3、合計53もあり、特に双体像は、様々な姿をいろいろな彫り方で作ってある貴重なものです。
町内で1番大きく、高さ103センチメートル、幅113センチメートルもあります。ていねいなほりで冠、衣装、半跏趺坐(左足を右のももの上に置く、座り方)で足の指までほってあります。男神は「しゃく」、女神は「宝珠」をもっています。約150年前の「嘉永元年(1848年)」につくられました。当時の「庄屋、林原半三郎」、「世話人、近藤広三郎」の名前もほってあります。 もとは、村内の三叉路にあり、鳥居もあったということです。
西坪神社に5基のサイの神さんがあります。いろいろな神像のものが異なったほり方でつくられています。注目されるのは、円を3つ重ねた神像のものです。男女の別をひげで表現してあり、「しめ」もほってあります。「西坪」「青年会」の文字もあります。これは、全国的にもめずらしい図柄のものです。 5基の中には、サイの神祭りの夜、よそからうばってきたものもあります。若者によってサイの神さんのうばいあいが流行した時期があったのです。
住吉神社の境内にあります。「しゃく」を持った男神と、女神を線でほりあげています。
「明治9年(1876年)12月吉日 御来屋」の文字もあります。 明治9年、鳥取県は島根県と併合されてなくなりました。このサイの神さんには、縁結びと、鳥取県復活の願いがこめられているようです。 他の1基は、男女の神様が肩をくみ、手をにぎりあい、仲むつまじい姿がほられています。
高さ80センチメートル、幅120センチメートルの形の良い石に、「しゃく」を持つ男神と「扇」を持った女神がほってあります。
「しめ、ほこら」もあります。この神像は伯耆を代表するタイプのひとつです。「嘉永7年(1854年)春吉辰」とあります。吉辰とはめでたい日ということです。念願のサイの神さんが出来上がった喜びが伝わってくるようです。東谷のサイの神さんも梶原と同じ図柄です。小型の石で盗まれないように、石組みのほこらの中にまつられています。
前田神社のサイの神さんは、仲むつまじく語りあう男女を座像(座った姿)でほっています。切妻の屋根をのせて風格もあります。 庄内地区のサイの神さんは、古御堂から上高田まですべて座像の姿で、地区の特色といえます。 茶畑のサイの神さんの女神は、よく見ると十二単(じゅうにひとえ)の正装の姿をほっています。
自然石のサイの神さんです。高さ1メートル、幅65センチメートル、上の方が三角形となり、均整のとれたご神体です。前に石を組みあわせ、「ほこら」のようにしてあります。