福岡製鉄所跡


明治21年(1888)、根雨の近藤家が新しい蒸気機関を利用し、当時の数倍の増産を計画したという製鉄工場。鉄価の大暴落により、その幕を閉じることとなる大正10年に至るまで、たたら文化を担う地として数多くの歴史を刻みました。製鉄所のシンボルでもあった赤煉瓦造りの煙突は、閉山後、下代の名酒「養老泉」の造り酒屋に引き取られ、酒屋の煙を上げるとともに第二の人生をスタート。現在はそちらも取り壊されてしまいましたが、養老泉の白い文字が書かれた煙突は、当時より数多くの銘酒を生み、その歴史を刻んできました。

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