大倉隧道と記念碑

谷川から大倉への道は、大山々麓に住む部落の人々が頻繁に利用する重要な交通網。しかしつづら折れになった妻(さい)の峠(たわ)は、人馬共に移動するのが困難であったため、篠田清蔵という人物が中心となって隧道開さくを決議。村人も協力して明治23年3月に起工、同年12月に竣工しました。規模は巾1.8m、高さ2.2m、全長174.5m。この間の経緯を記し、トンネル入口には、明治44年4月記念碑が建てられました。

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