霊峰・大山のシンボル的名所
かつては人間と神との結界として位置
大神山神社奥宮へと向かう、日本一長い石畳の参道を歩いていると、途中「金門」と記された分かれ道に遭遇します。
記された通り、金門の方へ進むこと約80m。昔、僧兵たちが修行したといわれる「僧兵荒行の岩」の前、一気に視界がひらけ、雄大で、険しい大山の北壁の絶景がみなさんを迎えます。
北壁をのぞむこの一帯は通称「賽(サイ)の河原」と呼ばれ、大山の金門と元谷の間に位置し、安山岩が無数に堆積し石積みのケルン(塔)が作られるなど周囲のロケーションも申し分なく、絶好の眺望ポイントとして登山客に人気。 賽の河原は三途の川の事で、死者が渡って行くところとされ、こちらが不毛の荒涼とした地帯であることから名づけられたのです。
かつて幼い子供の霊を慰めるために、親たちが石を一つ一つ積み重ねながら子供への思いを歌にし、また塔婆流しなどの風習が行われていたこの端、南光河原を流れる佐陀川があり、その両岸には巨大岩石を半分に切ったかのような岸壁が向い合わせに目の前に立ちはだかります。
これが「金門」。
ここは岩壁そのものを神門に例え御金門と呼ばれ、信仰の聖地として僧兵たちが修行に励んだ場所。
縁起によれば、権現の勅を受けた八大龍王がみる間に岩戸を切り開くと、金剛鳥が舞い降りて仏の徳を説き、智覚仙人が金門という額をかけて聖域の入口としたとあるのです。
岩壁の隙間からは大山北壁が垣間見れ、岩肌の荒々しさとその両岸に切り立つ絶壁の迫力と言えば・・・。
大山の撮影ポイントとしてもぜひ訪れてほしいポイントでもあります。
大山の呼び名はここからはじまった!?
金門と大山二羽烏
大仙多宝佛、関鑰御金門
應化身垂跡、釋迦両足尊
大明智大権現の殿堂を造営するに際し、大磐石が道に屹立して通行の妨げとなっていたので、僧徒等はこれを取り除こうとしたが難工事のために途方に暮れていました。
すると二羽の烏が飛んで来て手伝い、またこの工事中(孝元天皇52年)、金剛鳥が天から飛んで来て次のような偈を説いたので程なく竣工したといいます。
大山の名前、金門の名は、これから始まったとも伝えられてるのです。
絶壁の隙間に夕日が・・・
神域に奇跡が起こる6月
実はこの金門。
一年でもっとも日が長い夏至間近、6月〜7月上旬にかけてだけにおこる奇跡の風景があるのをご存じでしょうか。
金門をふさぐ両脇の断崖のわずかな隙間、このわずか数mの隙間に、この時期のみ夕日が沈むことに・・・。
ちょうどこの頃、「国引き神話」の舞台でもある島根半島の最東端、美保関灯台に立つ美保神社の飛び地境内「地の御前」の鳥居の間から陽が昇るという神秘的な時間にも遭遇。
霊峰と讃えられた大山と国引き神話の地・美保関。
何かのつながりを感じずにはいられないと感じるのは我々スタッフだけでしょうか。