「サイの神さん」とは、日本で古くから伝わる信仰のことで、大昔、人々が平和に暮らしていたころ、悪者や流行病は道を通って村の中に入ってくると信じられていました。そこで、峠や村境、わかれ道などに「サイの神さん」をまつり、悪者などが入らないよう防ぎ止めたのが信仰の始まりと言われています。「サイの神さん」はいろいろな願いごとを叶えるありがたい神様。現在も残る「サイの神さん」にぜひ祈願参りにお出かけしてみませんか?
米子道溝口IC
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1 倉谷のサイの神さん
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2 西坪のサイの神さん
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3 御来屋のサイの神さん
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4 梶原のサイの神さん
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5 文珠領のサイの神さん
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6 本家(茶畑)のサイの神さん
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米子道米子IC
Q.「サイの神さん」は何の神様?
A.日本の古い書物の『古事記』にもサイの神さんのことが書いてあります。中国では旅に出るとき「道祖神」をまつり、その安全を祈りました。これが日本に伝わり、平安時代からこの風習が広まりました。また、サイの神さんは境を守ることから、この世とあの世の境のお地蔵さんとも関係があるといわれます。さらにサイの神さんは、お地蔵さんと同じように子どもを守る神さんとなっています。このように、サイの神さんは他のいろいろな信仰と関係をもちあいながら「塞ぎの神」・「旅や足の神」・「生産の神」・「縁結びの神」・「子どもの守り神」など、いろいろな願いごとを叶える神様として信仰されてきたのです。
Q.一年に一度の「サイの神祭り」ってどんなお祭り?
A.西伯郡の村々では、12月15日に「サイの神祭り」を実施。祭りをするのは未婚の青年男女や子ども。その日は午前1時頃から起き、わら馬に米の粉だんごを入れたわらづとを負わせて、サイの神さんの境内に積んでおき、この日の早朝にたきぎをたきながら、馬のしっぽを焼いたり、だんごを焼いて食べたりするのです。
「サイの神さん」は縁結びの神様としても有名で、早朝に参るほど早く良縁があり、遅く参ると縁遠くなると信じられています。(『因伯伝説集』から)この日だけはぜひ誰よりも早起きしてお出かけしましょ。
■倉谷のサイの神さん
大山町内で1番大きく、高さ103cm、幅113cmもあります。ていねいなほりで冠、衣装、半跏趺坐(左足を右のももの上に置く、座り方)で足の指までほってあります。男神は「しゃく」、女神は「宝珠」をもっています。約150年前の「嘉永元年(1848年)」につくられました。当時の「庄屋、林原半三郎」、「世話人、近藤広三郎」の名前も彫ってあります。 元は村内の三叉路にあり、鳥居もあったということです。
■西坪のサイの神さん
西坪神社には5基の「サイの神さん」が残存。これはいろいろな神像のものが異なった彫り方で作られている貴重なもの。円を3つ重ねた神像のもので、男女の別をひげで表現してあり、「しめ」も彫ってあるほか、「西坪」「青年会」の文字もあり、これは、全国的にもめずらしい図柄のものとして注目を集めました。 5基の中には、サイの神祭りの夜、よそから奪ってきたものも。何と、若者による「サイの神さん」の奪い合いが流行した時期があったそうなのです。
■御来屋のサイの神さん
住吉神社の境内にあり、「しゃく」を持った男神と、女神を線で彫りあげています。また「明治9年(1876年)12月吉日 御来屋」の文字も。これは明治9年、鳥取県は島根県と併合されてなくなったことを受け、このサイの神さんには、縁結びと、鳥取県復活の願いがこめられているようです。 他の1基は、男女の神様が肩をくみ、手をにぎりあい、仲むつまじい姿が彫られています。
■本家(茶畑)のサイの神さん
自然石の「サイの神さん」です。高さ1m、幅65cm、上の方が三角形となり、均整のとれたご神体です。前に石を組みあわせ、「ほこら」のようにしてあるのが特徴です。